現在確認されている装身具の中で、最古級とされているのが、紀元前3000年頃の古代エジプト時代のネックレスです。
今回はそんなジュエリーが何のために生まれどう発展し、日本でどうやって栄えていったのか、その歴史についてご紹介します。
ジュエリーの原点|刺青から始まった装身の文化
歴史をひもとくと、装身具以前の「装身文化」として、刺青が存在していたと考えられています。
古代エジプト時代、人の体に模様を施して装飾したのが始まりといわれており、その後、獣の骨や牙を紐に通した首飾りが生まれました。
当初は狩猟の腕前を誇示する象徴として身につけられていましたが、次第に動物への感謝や狩猟の成功を祈るお守りとしての意味合いも持つようになったと考えられています。
そして大きな川の周りで古代文明が誕生すると、金や天然石、鉱物が発見され、それらを加工した装身具が生み出されるようになります。
ここからジュエリーは、お守りや狩猟の力の象徴から、権力を主張するもの、そして自分自身を美しく飾るものへと変化していきます。
権力の象徴としてのジュエリー|王と装身具の関係
やがて社会に階級が生まれ、王が誕生します。
彼らは自分の権力や権威の象徴としてジュエリーで自身を装飾します。
古代文明の多くでは、王は神の代理、あるいは神に近い存在と考えられていたため、王を装飾することは神聖性を示す行為でもありました。
信仰を表す装身具|キリスト教とジュエリー
キリスト教が誕生すると、ジュエリーはキリスト教の荘厳を示すための道具へと意味合いが変化しました。
当時建てられた教会やキリスト像、聖者像などは宝石で盛大に装飾されています。
個人を飾るためのジュエリー|ルネサンス以降の変化
西洋では、ルネサンス期を経て16世紀頃から王侯貴族社会が誕生し、ジュエリーは、それまでの権力や宗教の象徴から、個人の地位や美意識を表現する装身具へと変化していきました。
富の象徴から日常へ|産業革命とジュエリーの大衆化
18世紀半ばに英国から産業革命が始まりました。
この革命によって階級にかかわらず、普通の人々が自らの手で事業を起こし、成功すれば富裕層になれるという大きな社会的変化がもたらされました。
産業革命は、ジュエリーにとっても大きな転換期です。産業革命で、新しく生まれた新興富裕層の時代が始まり、彼らは家族や愛する人のために、大金をはたいてジュエリーを買うようになります。
一般女性がジュエリーを身につけるようになったのもこの頃ですね。
また「アンティーク・ジュエリー」と呼ばれるジュエリーはこの時代のものが多いです。
日本における装身文化の始まり|縄文から古墳時代へ
日本でも縄文時代から多くの装飾品が身につけられました。
当時の遺跡からは、貝殻を使った首輪や耳飾りが発見されています。
古墳時代には、指輪や耳飾りなどが発見されており、現在と同じようなニュアンスの装飾品の存在が判明しています。
しかしその後、日本では指輪や耳飾りといった西洋的なジュエリー文化は一時的に姿を消していきます。
それは、奈良時代から江戸時代後期までと長期に及びます。
奈良から江戸時代の装飾品
その代わりに、日本では、女性は簪や飾り櫛を挿したりと、頭を飾ることに集中していきました。男性も刀などの武具に装飾を施したようです。
また、アクセサリーの代わりに、着物そのものが豪華になっていったともいわれています。
平安時代の十二単や江戸時代の打掛などイメージしやすいですね。
ヨーロッパ式のジュエリーは明治に入ってから
日本にヨーロッパ的なジュエリーが入ってきたのは明治時代になってから。
わりと最近だと言えます。
明治初期には一部の上流階級の間でジュエリーの認知度が高まり、ファッションとして女性の間でも広まっていきます。
その後、急速に西洋文化が進み、日本におけるジュエリー文化も大きく発展していきました。
昭和以前はほとんど輸入が主流でしたが、昭和に入ると日本国内でのジュエリーがつくられるようになります。
とくに第二次世界大戦後の高度経済成長を経験して豊かになった日本では、現在のような結婚指輪の文化やジュエリーの文化が根付きました。
まとめ|ジュエリーは「美しくありたい」という人類の本能
現代においてジュエリーは、女性を輝かせるためのマストアイテムのひとつです。
ファッションの一部として、自分を輝かせるために身に着けている方も多いのではないでしょうか。
権力や宗教上の意味合いを持つこともありますが、ジュエリーとは、権力や信仰、時代背景を超えて、「自分を美しいもので飾りたい」という人間の根源的な欲求から生まれ、受け継がれてきた文化なのです。
ぜひ、ジュエリーを身に着けて毎日をさらにハッピーに過ごしましょう。